◇荊沢だより◇

荊沢宿の歴史

荊沢(ばらざわ)は駿信往還路の宿場町でした。

江戸時代の最初期(1617年以前)
旧街道(西郡路)から新街道(駿信往還)が出来た際に
現在地に宿場町ができました。
それが荊沢宿です。
駿信往還は富士川街道(県道42号線)になります。

宿場の北から南まで約1km程ありました。
宿への北側の入り口(荊沢上宿)は
道路が矩の手(かねのて=クランク)になっていて
現在もその名残があります。

南側(荊沢下宿)も矩の手でしたが
現在は直線に改修されています。

※矩の手は曲尺手(かねんて)とも表記されています。

江戸時代の1705年(宝永二年)の荊沢村の人口は
596人(201軒)という記録があります。
農業以外の職業は
酒屋4軒、糀屋1軒、紺屋5軒、大工1軒、鍛冶1軒、桶屋1軒、医師1軒、
そして商人77軒などです。
商人の多さが目立ちます。
荊沢宿はちょっとした商都だったようです。
その商材は「塩」でした。

「塩」:駿河国(静岡県)から富士川を遡って舟運された「塩」は
鰍沢(荊沢の南)で荷揚げされます。
それを荊沢の商人が駿信往還伝いに陸運し
甲斐国(山梨県)や信濃国(長野県)方面へ商ったというわけです。

写真は荊沢下宿から鰍沢側に渡る地点と思われる場所です。

「藍」:荊沢宿の周辺では「藍」の栽培が盛んで「藍」も主要な産品でした。
これも駿信往還伝いに商われました。
▷ FaceBook・荊沢宿の藍

荊沢地区は(旧)甲西町に属しておりましたが
2003年(平成15年)周辺4町2村の合併で
南アルプス市となりました。

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荊沢地区では、往時の荊沢宿をモチーフとして
新しい町おこし活動中です。
「くらんく」は
その中心となるコニュニティスペースとして
様々なイベントを企画しております。

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Culture & Live Space「くらんく」
定休日水曜日
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